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17年12月12日

竹本素京

(大正3年3月19日〜平成19年11月18日)

竹本素京

大正三年生まれの結城座の肝っ玉おっかさん。
3歳から義太夫の修行をはじめ、17歳で真打に。19歳で二代目結城一糸(結城雪斎)と結婚。以来結城座の義太夫として、また精神的支柱として結城座を支え続けてきてくれました。
平成11年文化庁長官表彰受賞。
平成19年11月18日逝去。

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プロフィール

14歳のころ

14歳のころ
娘義太夫の花形には、どの小屋にも駆けつけてくれる”追っかけ”も多かった。

大正 6年
花沢梅光に義太夫を習いはじめる。
大正 8年
5歳、本所、長門倶楽部にて初舞台、花沢梅喜久を名乗る。
昭和 3年
竹本素昇に師事
昭和 6年
豊沢雷助に師事
昭和 7年
竹本素京を名乗り真打となる。 吾妻橋、東橋亭にて「壷坂霊験記」にて真打披露公演
昭和 8年
初代結城一糸(10代目結城孫三郎、結城雪斎)と結婚
昭和 9年
大阪公演を最後に娘義太夫としての舞台を退き、以来現在まで結城座の人形のみの竹本の太夫として海外公演を含む数多くの公演に参加し活躍
愛用の見台

愛用の見台

昭和63年
結城雪斎舞台生活77年、竹本素京舞台生活70周年記念公演 東京都より助成を得て竹本素京の義太夫を永久保存。「壷坂霊験記」「新版歌祭文」「本朝廿四孝」など全12段を録音 「竹本素京 義太夫の会」として独演会を再開する
平成 2年
昭和61年にヨーロッパ公演にてベオグラード国際演劇最賞を受賞した「マクベス」をスウェーデン・デンマーク・ノルウェー・旧ソ連各都市で上演。 モスクワにおいて義太夫のレクチャーデモンストレーションを行う 有限会社結城座の代表取締役に就任
芸術功労者賞の授賞式

芸術功労者賞の
授賞式

平成11年
文化庁長官表彰受賞
平成12年
紀尾井ホールにて素浄瑠璃「摂州合邦辻」公演
平成13年
上野公園内の旧東京音楽学校 奏楽堂における初の素浄瑠璃公演を行う
平成14年
東京芸術劇場にて米寿記念公演「傾城恋飛脚 新口村の段」
平成15年
3月、芸団協より平成十四年度芸能功労者賞表彰を受賞
「伽羅先代萩の世界」公演(7月9日〜7月13日 世田谷シアタートラム)
平成16年
東京芸術劇場にて、竹本素京卒寿記念・結城座三七〇周年記念公演「摂州合邦辻」

素京

17年12月12日

テレビと結城座

“テレビ天助”絵本の表紙

NHKの実験放送時代に始まった「テレビ天助」はNHK人形劇の最初のものです。
テレビを担いだテレビ天助が、悪をやっつけます。まだ録画放送が出来なかったため、先に作っておいたセットを人形、人形遣い、カメラ等が場面展開ごとに移動しながら生放送したそうです。

17年12月12日

世界の人形劇

人形劇には、世界共通の伝統的な二つの方式があります。人形を直接手にして使う、文楽(人形浄瑠璃)でおなじみの「プペット(パペット)」と、糸であやつる「マリオネット」です。 結城座は糸あやつりの方式を継承する人形芝居一座です。
NHKで放送された「ひょっこりひょうたん島」やアメリカのSFドラマ「サンダーバード」もマリオネットを使った作品です。

17年12月12日

浄瑠璃

初代結城孫三郎が座をおこした当時は結城座は説経浄瑠璃の座でしたが、義太夫浄瑠璃の隆盛とともにいち早く転向していきました。
当時は上方・江戸ともに新作浄瑠璃の盛んな時代でした。その後今日にも名作として伝わるに伽羅先代萩の飯炊の場(天明五年)や福内鬼外(平賀源内)の荒御霊新田神徳(安永八年)(神霊矢口渡の書き直し)作品などが結城座に書き下ろされていきました。

17年12月12日

猿若町

天保12年、火事による芝居の全焼を期に風俗取締りが厳しくなり、水野越前守の天保の改革によって芝居の市中興行が禁じられます。結城座も天保14年中村座、市村座、河原崎座、薩摩座、とともに浅草猿若町に移転することを命ぜられ、400両の引越し金と人形遣いそれぞれに手付金が下賜され葺屋町より移転しました。

17年12月12日

コラボレーション

2002年に日仏共同制作作品として結城座・世田谷パブリックシアター・フランスの三者合同でスタートしたジャン・ジュネ作、フレデリック・フィスバック演出「屏風」は2007年アヴィニヨン演劇祭に正式招聘され栄えあるオープニングを飾ることとなりました。
また2008年にはアメリカのピン・チョンとともに日米合作作品「悪魔とダニエルウェブスター」を作ります。