葺屋町
初代結城孫三郎が櫓を上げた場所。「桐竹紋十郎手記」によると「寛永十二年江戸、さる若町結城孫三郎、元はふき屋町、御免御操り矢倉まくにあがる」とあり、現在の日本橋人形町近辺です。この辺りは手あやつり、南京人形など人形関係の座が集まっていました。また人形や羽子板細工、錦絵などを売るお店も軒を連ねていたそうです。
初代結城孫三郎が櫓を上げた場所。「桐竹紋十郎手記」によると「寛永十二年江戸、さる若町結城孫三郎、元はふき屋町、御免御操り矢倉まくにあがる」とあり、現在の日本橋人形町近辺です。この辺りは手あやつり、南京人形など人形関係の座が集まっていました。また人形や羽子板細工、錦絵などを売るお店も軒を連ねていたそうです。
糸あやつりは、奈良時代(8世紀初頭)に中央アジアから中国・朝鮮を経て日本に伝わったとされています。一般庶民の娯楽として歓迎され始めたのは豊臣秀吉が全国を制覇しようとする頃のことで、その後江戸に幕府が開かれ、新しい都市として発展し始めると、唯一の盛り場だった中橋(いまの日本橋)で上演されるようになりました。
三代将軍家光の治世、1635(寛永12)年に初代・結城孫三郎が日本橋・葺屋町に糸あやつり人形芝居の櫓を立てたのが結城座のおこりです。
2004年9月から文化庁の支援により開始しました。古典糸あやつり人形遣いの育成及び人形芝居を多くの人に広めるために行っております。人形の遣い方を人形の持ち方から初めて、動きについて、台詞の言い方について、などを初歩から勉強していきます。
(大正3年3月19日〜平成19年11月18日)

大正三年生まれの結城座の肝っ玉おっかさん。
3歳から義太夫の修行をはじめ、17歳で真打に。19歳で二代目結城一糸(結城雪斎)と結婚。以来結城座の義太夫として、また精神的支柱として結城座を支え続けてきてくれました。
平成11年文化庁長官表彰受賞。
平成19年11月18日逝去。

14歳のころ
娘義太夫の花形には、どの小屋にも駆けつけてくれる”追っかけ”も多かった。

愛用の見台

芸術功労者賞の
授賞式

“テレビ天助”絵本の表紙
NHKの実験放送時代に始まった「テレビ天助」はNHK人形劇の最初のものです。
テレビを担いだテレビ天助が、悪をやっつけます。まだ録画放送が出来なかったため、先に作っておいたセットを人形、人形遣い、カメラ等が場面展開ごとに移動しながら生放送したそうです。
人形劇には、世界共通の伝統的な二つの方式があります。人形を直接手にして使う、文楽(人形浄瑠璃)でおなじみの「プペット(パペット)」と、糸であやつる「マリオネット」です。 結城座は糸あやつりの方式を継承する人形芝居一座です。
NHKで放送された「ひょっこりひょうたん島」やアメリカのSFドラマ「サンダーバード」もマリオネットを使った作品です。