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17年12月13日

結城雪斎

結城雪斎

(初代 結城一糸、十代目結城孫三郎)
昭和の名人と謳われた稀代の人形遣い。
十二代目結城孫三郎の父。女形を得意とし古典作品はもちろん新作も可憐な娘役から、妖艶な年増まで、その糸さばきは見る人すべてを魅了しました。
明治40年生まれ 平成9年没。

17年12月13日

政岡

政岡

160年ほど前に作られた「伽羅先代萩」のヒロイン役の人形です。その凛とした面差しは年を重ねるごとに美しさを増していくようです。
「伽羅先代萩」は江戸時代に起きた伊達家のお家騒動を基に作られた有名な戯曲で現在でも歌舞伎、文楽でもたびたび上演されます。この中の「飯炊の場」は結城座初演です。

17年12月13日

葺屋町

初代結城孫三郎が櫓を上げた場所。「桐竹紋十郎手記」によると「寛永十二年江戸、さる若町結城孫三郎、元はふき屋町、御免御操り矢倉まくにあがる」とあり、現在の日本橋人形町近辺です。この辺りは手あやつり、南京人形など人形関係の座が集まっていました。また人形や羽子板細工、錦絵などを売るお店も軒を連ねていたそうです。

17年12月13日

人形劇の伝来と流行

糸あやつりは、奈良時代(8世紀初頭)に中央アジアから中国・朝鮮を経て日本に伝わったとされています。一般庶民の娯楽として歓迎され始めたのは豊臣秀吉が全国を制覇しようとする頃のことで、その後江戸に幕府が開かれ、新しい都市として発展し始めると、唯一の盛り場だった中橋(いまの日本橋)で上演されるようになりました。
三代将軍家光の治世、1635(寛永12)年に初代・結城孫三郎が日本橋・葺屋町に糸あやつり人形芝居の櫓を立てたのが結城座のおこりです。

17年12月13日

人形遣い入門塾

2004年9月から文化庁の支援により開始しました。古典糸あやつり人形遣いの育成及び人形芝居を多くの人に広めるために行っております。人形の遣い方を人形の持ち方から初めて、動きについて、台詞の言い方について、などを初歩から勉強していきます。

17年12月12日

竹本素京

(大正3年3月19日〜平成19年11月18日)

竹本素京

大正三年生まれの結城座の肝っ玉おっかさん。
3歳から義太夫の修行をはじめ、17歳で真打に。19歳で二代目結城一糸(結城雪斎)と結婚。以来結城座の義太夫として、また精神的支柱として結城座を支え続けてきてくれました。
平成11年文化庁長官表彰受賞。
平成19年11月18日逝去。

竹本素京秘蔵音源集CD販売

プロフィール

14歳のころ

14歳のころ
娘義太夫の花形には、どの小屋にも駆けつけてくれる”追っかけ”も多かった。

大正 6年
花沢梅光に義太夫を習いはじめる。
大正 8年
5歳、本所、長門倶楽部にて初舞台、花沢梅喜久を名乗る。
昭和 3年
竹本素昇に師事
昭和 6年
豊沢雷助に師事
昭和 7年
竹本素京を名乗り真打となる。 吾妻橋、東橋亭にて「壷坂霊験記」にて真打披露公演
昭和 8年
初代結城一糸(10代目結城孫三郎、結城雪斎)と結婚
昭和 9年
大阪公演を最後に娘義太夫としての舞台を退き、以来現在まで結城座の人形のみの竹本の太夫として海外公演を含む数多くの公演に参加し活躍
愛用の見台

愛用の見台

昭和63年
結城雪斎舞台生活77年、竹本素京舞台生活70周年記念公演 東京都より助成を得て竹本素京の義太夫を永久保存。「壷坂霊験記」「新版歌祭文」「本朝廿四孝」など全12段を録音 「竹本素京 義太夫の会」として独演会を再開する
平成 2年
昭和61年にヨーロッパ公演にてベオグラード国際演劇最賞を受賞した「マクベス」をスウェーデン・デンマーク・ノルウェー・旧ソ連各都市で上演。 モスクワにおいて義太夫のレクチャーデモンストレーションを行う 有限会社結城座の代表取締役に就任
芸術功労者賞の授賞式

芸術功労者賞の
授賞式

平成11年
文化庁長官表彰受賞
平成12年
紀尾井ホールにて素浄瑠璃「摂州合邦辻」公演
平成13年
上野公園内の旧東京音楽学校 奏楽堂における初の素浄瑠璃公演を行う
平成14年
東京芸術劇場にて米寿記念公演「傾城恋飛脚 新口村の段」
平成15年
3月、芸団協より平成十四年度芸能功労者賞表彰を受賞
「伽羅先代萩の世界」公演(7月9日〜7月13日 世田谷シアタートラム)
平成16年
東京芸術劇場にて、竹本素京卒寿記念・結城座三七〇周年記念公演「摂州合邦辻」

素京